美唄の革職人のブログ

北海道美唄市で革製品と陶芸と写真を撮って暮らしてます

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良い思い出。そうじゃない思い出

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多分、多分だけど僕は引越しの回数が多い。

20歳で地元の北海道を離れてから、その間に一体何度引越しをしたのかを考えてみたけど、大小含めると相当な数になっていて、多分だけどトータルで30回くらい引越しをしているんじゃないかなと思う。

そうなると、その土地に居た頃の記憶というのはその土地、そしてその地名と分かち難く結びついてくるもので、あの場所に居た時はこんなことがあったな、あっちではこんなことがあったなっていうのが地図とかその頃の写真を見たりすると色々と思い出すことはあるんだけど、当然そうなると良い思い出、そしてそうじゃない思い出のある土地ってものがあるわけで、でもその「良い思い出」としているものは、割と風化してしまって自分の中で勝手にきれいなものにしているかもしれないし、反対に「良い思い出とはいえない」という場所に関しても、その部分にだけフォーカスしてしまっているだけで、実際にはそれはそれで面白かったじゃねぇのと思う。

そしてとても月並みだけれど、結局のところどこに住もうと「人」なんだよなぁと思う。本当に月並みなんだけど。

例えばどれだけ劣悪な環境であったとしても、三宅くんと近所に住んでいた頃の富山での思い出はやっぱり楽しいものだったし、同じく進藤さんのアパートの向かいに住んでいた魚津での思い出も良いものばかりだ。

反対に、ロケーションとしては良かったとしても、人間関係でなんかめんどくさいことに巻き込まれたり(そして僕はよくそういうのに結構巻き込まれる)した場所のことを思うと、一般的に言うとロケーションは悪く無いんだけど、なんか再訪したいとは思わなくなっちゃうよなぁっていうのが本音だったりするわけです。

でも、そういう考えってとても危険だよな、とも思う。
ちょっとしたことで、その地域全体を見てしまうのって凄く偏狭な気がするし、非寛容だし面白みに欠けたりもする。

ただ、結局僕としては、どんな土地であろうとまたその場所に行ってみて、果たしてその時自分が感じた記憶みたいなものは正しいのかを確認したくなってしまうんだけど、大抵そういうことをしてしまうと、期待値が大きい分だけハードルが上がってしまって、「そんなに良くないな。その頃はそう思ってたんだろな」みたいな片付け方をしてしまうことが結構多いタイプなので、やっぱり僕は今後もきっと引越しを続けながら荷物を減らし、ふらりふらりとしちゃうタイプなんだろうなと変に他人行儀に自分のことを自己診断したりするんだろうなと思うんですよね。

うん、オチが無いな。

無いけどまぁ、そういう深夜の独り言みたいなものも悪くないんじゃなかろうか。

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